接骨院の保険診療について

受診のしかた

当院が保険取扱いを行う場合

当院が保険取扱いを行う場合は、下記の要件を満たす場合のみです。
その他は自費診療もしくは自由診療となりますので、ご注意ください。

接骨院の保険適用の範囲

接骨院の保険診療の適用は、次ような条件にあてはまる場合です。
1,各都道府県から健康保険の取り扱いの認可を受けた接骨院であること
2,急性、亜急性のケガ等の外傷による骨折・脱臼・打撲・捻挫・挫傷(肉離れ)の症状に対し施術を行うもの
3,各保険者との契約で定められた柔道整復の業務の範囲内でその施術を行った場合
4,各保険者との間で取り決められた療養費の算定基準に従うもの
5,健康保険で定められる療養費の一部割合を受領委任もしくは償還払いの支払いの方法で保険者に請求すもの
従って、これに外傷以外の内科的原因、その他の原因に基づく場合や、外傷が原因であっても亜急性の期間を超えた慢性のは含まれません。
また、第三者の行為によって発生した外傷も含まれません。
つまり、自然に痛くなったとか、慢性の腰痛だとか、リウマチや痛風と言った診断を医師から受けているものだとか、交通事故やけんかで受けたケガだとかは該当しません。

保険適用に必要な提示物

他の保険取り扱い業と同様に、適用期間中の健康保険証が必要になります。
尚、現行の健康保険証は令和6年12月2日に廃止となり、マイナンバーカードによる資格確認に移行されます。
ただし、廃止後も最長1年間の猶予期間があります。
また、マイナンバーカードを保有してない場合は、健康保険組合などの保険者から有効期間5年の資格確認書を発行してもらうことができます。

接骨院の歴史と保険適用に至った歴史

ここで、歴史的に接骨院がどのようにして誕生し、保険取扱いになっていったのかの歴史をご紹介します。

古代から明治までの接骨

接骨の歴史は諸説あるとは考えられますが、少なくとも奈良時代の養老律令(757年実施)にはその原型と言える按摩技師によろ折傷の治療に関する記載があります。
平安時代には円融天皇に丹波康頼が献上(984年)した日本最古の医学書「医心方」巻18には、骨折・脱臼・打撲・創傷に対する治療法が記載されています。
江戸時代には高志鳳翼によって、「骨継療治重宝記」最古の整骨専門書が発表されております。
この書の中では、「瘍科証治準縄」他10種以上の中国医学書の引用があり、整骨術が中国の影響下にあったことが伺われます。
江戸時代の後期には、有名な華岡青洲による「華岡青洲整骨秘伝図」、各務文献「整骨新書」、二宮彦可「正骨範」などが整骨術で優れた実績を残しました。

骨継療治重宝記(日本古書籍商協会より引用)

明治から戦前までの接骨

明治時代に入ると、明治政府の成立とともに明治維新が起こる中、西洋医学への一本化が推進されました。
整骨、鍼灸などこれまでの伝統医学は科学的根拠のないものとされ、太政官令により明治27年、接骨業は廃止されました。
しかし大正時代には、柔道家による請願運動が活発になり、議会に請願書が提出され、大正9年、内務省令「按摩術営業取締規則」の改正が制定されました。
この改定には柔道整復術に関する記載が織り込まれ、ここに初めて柔道整復術の法的根拠が得られることになりました。
さらに同年、警視庁にて第一回柔道整復師試験が実施されました。
昭和に入ると昭和5年より、柔道整復師の身分を単独法としての成立を目指す運動を、昭和7年には、健康保険取扱い獲得運動を大々的に開始した。
しかし、内務省社会局保健部は「柔道整復師の身分では健康保険の取り扱いはできない」という見解を示しました。さらに医師会の強い風当たりの中、工場協会の嘆願書の提出による協力を得て、健康保険取扱い獲得運動を活発化させました。
そして昭和11年、ついに内務省社会保険局より健康保険取扱いが発令されました。
柔道整復師の健康保険取扱いが認可されると、日本医師会は全国医師会に対して「業者の施術により患部の悪化したる事実、その他後遺症等に関し、参考事例あればこれを報告すること」との通達を発し、これを徹底しました。
これに対し警視庁保険課は、東京府柔道整復師会との第1回協定により、各事業主に対して「柔道整復師の施術に関する件」として通達し、ここに正式に柔道整復師の保険取扱いが開始されることになりました。

戦後の接骨

戦後、GHQ統制下において旧憲法以下すべての制度が失効となりました。
それでも昭和22年「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」があらたに制定され、柔道整復は再びその法的根拠を得ることに成功しました。
昭和28年、日本柔道整復師会と日本接骨師会が厚生省斡旋のもと合併し、東京大学医学部整形外科出身の金井良太郎氏会長による全日本柔道整復師会が発足しました。
昭和34年、全日整は国家公務員27団体、国鉄、電電公社、日本専売公社との保険取扱い協定の調印を完了し、昭和45年防衛庁の取扱い協定が成立しました。
同年、それまでの「あん摩、はり、きゅう、柔道整復師等に関する法律」から「柔道整復師法」が分離され、単独法としての地位と責任が成立しました。
昭和51年、柔道整復師養成施設における指導要綱が制定されました。
その中で、柔道整復師の業務範囲が「骨折・脱臼・捻挫・および筋腱などの軟部組織損傷に対する施術とされ、柔道整復術の内容が「整復・固定・後療法(手技・運動・物理療法)として明確化されました。
昭和64年、柔道整復師法が改正され、これによりそれまで都道府県単位で実施されていた資格試験が、厚生省が実施する国家試験となり、厚生大臣免許となりました。

(参考文献:東京有明医療大学https://www.tau.ac.jp/department/healthsciences/judoseifuku/history-j/、公益社団法人日本柔道整復師会https://www.shadan-nissei.or.jp/upload_img/20171024141829_1.pdf